YouTubeぶらり旅

YouTubeを眺める

Vtuberの台頭に思うファン心理

需要と供給のバランスは、歯車のようにあちらが回ればこちらが回りだすという関係性を持っている。このことから、どちらかが過多になることでそのバランスは崩壊することになる。

 

しかし、このVtuberというやつ、多すぎるなあ。右見ても左見ても絵が喋っている。技術の発展ってやつなんだろうけど、なんかなあ。少なくとも私は嫌いだ。

コンテンツの見栄えとして「より良い顔を求める」というのが必要だと知りつつ、でも自分の顔を乗せるとか、自分の顔で勝負するわけではなく、それを絵に任せるという魂胆が好きになれない。個人的な好き嫌いはどうでもいいか。

 

さて、大手事務所に所属(ということになっている)しているキャラクターが新しく出る場合、会見という生放送をする。

そこで今後ともどうぞよろしく、ひいては周りのみんなもよろしく、というデビューを果たし、様々な活動を行う。ここでいう様々な活動は、ゲーム実況だったり、歌だったり、雑談だったり。そのキャラクターの適正に合わせて活動を変えていくらしい。もはやアイドル事務所である。

 

私の周りのYoutubeを見る人に聞いてみたが、誰一人としてVtuberファンというのがいなかった。というわけで、私の中でVtuberファンは「いるらしい」という領域を出ない。そのファンはどういう心理なんだろうか。

 

例えば一般的なアイドル。

熱心なファンの皆さんは「アイドル選考会」というやつが開かれており、その中で勝ち上がって無事にアイドルになるまでのストーリーを追いかけているのだろう。某有名な男性アイドル事務所は、自身で応募し、まずはバックダンサー的なことから始めたりするらしい。そのあと晴れてデビュー、やったねという流れだ。

 

これがVtuberとなるとどうだ。公式サイトとかで「今度新しいキャラクターが来るぞ」となり、それで期待されて会見→デビューとなる。新しいファンはどういう心理でこのキャラクターを応援しようとなるのであろうか。

思うに、まずはスタートしてみる、という精神なのではないだろうか。まずはデビューさせてみて、客の反応が良ければそのまま活動してもらい、客の反応が悪ければ止めるということを繰り返すのではないだろうか?

 

これは合理的と言えるかもしれないが、それでいいのだろうか。私は面白いというものに面白いと感じた理由を探す。世の中の面白いが私の面白いとズレるのであれば、その理由を知りたい。そう考える人も多いのではないだろうか。そんな中でとりあえず、出たとこ勝負ということをやっていいのだろうか。

間違えてもらいたくないのが、個人ではなく事務所という単位での仕事のやり方としての問題である。そういう仕事のやり方をやっているとそのうち失敗するぞ。